仕事観。私が誰かに何かをする時に、大切にしたいこと。仕事の学校は、対話を通じて1人ひとりの仕事観を吟味していく時間と場です。

下北沢分校 担当スタッフより

下北沢分校 担当スタッフ 長尾彰からのメッセージ

こんにちは、長尾彰です。
みなさんお元気ですか?
今日は4月1日で、新年度とか新学期が始まって、「新」がたくさんつく月ですね。
「仕事の学校」も「新」を始めることにしました。

僕は今年の9月で35歳になります。
中学生だった頃は、21年から24年前になるわけです。

24年前!

24年前の事を、今、一生懸命思い出そうとしています。

その頃の僕の夢はなんだったかな。

かれこれ15分、思い出す努力をしていますが、いっこうに思い出せない。
中学生の僕は、きっと「夢」について考えていなかったのかもしれない。

そして、夢=仕事ではないのかもしれないけれど、13歳から15歳にかけての僕は(それは30歳まで続くわけですが)
『仕事とはいったいなんだろう?』ということも、考えていなかったかもしれない。

いや、少しは考えていたかもしれないけれど。


中学校の授業で、「職業講話」という授業がありました。
あの時は確か、近所の交番のお巡りさんがやってきて、「警察官という職業」について説明をしてくれました。

その時に僕は、少しは仕事について考えたかもしれない。

でも、今思うとあれは、「仕事について考える」ではなくて「警察官という職業が持つ役割」について説明を受けていただけで、僕が考えていたことは「警察官という職業の機能」について考えていたんだね。

34歳になった今、日々、自分に問いかけていることがあります。

『僕にとって仕事ってなんだろう?』

どんなに考えても、答えが出てきません。

「僕にとって仕事とは、生活するためのお金を稼ぐ手段です。」
「僕にとって仕事とは、夢を叶える手段です。」
「僕にとって仕事とは、誰かに役立ってもらうための社会貢献です。」
「僕にとって仕事とは・・・・。」

まったくわからない。

ここ4年くらい、必死に「考えている」けれど、考えれば考えるほどわからなくなってくるし、苦しくなる。

でもね。
でも、仕事を「感じる」ことはできている。
34歳の今も、14歳だったときも。

それが何かはよくわからないけれど、どうやら仕事というのは普段生きている、何気ない生活の中のあっちこっちにあるようだ。
同時に、僕たちは色々な人達の色々な仕事に触れながら生きている。

「いい仕事」を感じることができる。
「よくない仕事」を感じることもできる。

「仕事」と「仕事じゃないもの」を、僕たちはどうやって区別しているかを、考える事を通してではなくて感じることを通して無意識に区別いるのかもしれない。

僕は中学生の時に、1秒たりとも「仕事とは何か」ということを考えていなかった(かもしれない)。
でも、よーく思い出してみると、そこかしこで「仕事とは何か」ということを感じ取っていたようだ。

父親のかんながけ。
先生の板書。
給食のおばさんの服装。
本屋のおじさんの本の整理の仕方。
スーパーのレジのお姉さんの笑顔。

感じていたことは、どんどん思い出せる。

だから、仕事の学校下北沢分校では、「仕事を感じる」ということを熱心に進めていきたい。
考えることは後からできる。
でも、感じることは今しかできない。

そして、何を感じるのかは人それぞれで、人それぞれだからこそみんなでそれを話したり見つめたり触ったり見たり嗅いだり味わったり聴いたりしたら、きっと何かいいことがあるような気がする。

中学生のあなたにとって、「考えること」も大切だけれど、「感じること」がもっと大切だと僕は思っているので、一緒に仕事について熱心に感じることをしたいと思います。

それが「仕事とは何か」を考える体力みたいなものを身につけてくれるはずだから。

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